研究テーマ:
法と心理学、心理学史・心理学論、コミュニケーションと媒介物。
最近の仕事(2009年以降、印刷中のものも含む・全て第一著者)
著書:『〈境界〉の今をたどる―身体から世界空間へ・若手一五人の視点』東信堂 '09年(共編著)、『心理学史』放送大学教育振興会 '10年(分担執筆)、『犯罪心理学』文化書房博文堂 '10年(分担執筆)
論文:「刑事事件の判例における「性格」の使用の実際」『パーソナリティ研究』17号(共著)、「裁判員として育つ」『UP』439号、「「裁判員裁判ゲーム」の開発とゲームの効果」『シミュレーション&ゲーミング』19号、「精神障害・刑罰についての知識が責任能力判断における理由づけに与える影響」『法社会学』71号(共著)、「人はいつ「性格」概念を必要とするのか:ブログにおける「性格」への言及の分類」『パーソナリティ研究』(共著)、「評議におけるコミュニケーション:コミュニケーションの構造と裁判員の満足・納得」『社会心理学研究』(共著)。
研究テーマ1
裁判員が評議に実質的な参加をするために必要な仕掛けとは?
2009年から裁判員裁判が行われている。みなさんの中からも将来、裁判員として裁判に関わる人が必ず出てくるだろうし、みなさんも裁判員に選ばれれば、一生懸命考え、そして、判断を下すことだろうが、裁判員の判断には、事件とは直接関係のないさまざまな要因が影響する可能性が指摘されている。たとえば、事前に事件についての報道を聞いているか、法律の説明をどの段階で受けるかなどの要因があげられる。
私の関心は、裁判員がどのような要因に影響を受けるのか、そしてどうすれば裁判員が評議の場に実質的に参加できるかということにある。前者を検討するために、私は、心理学の立場から、裁判官役と裁判員役を立てて、いろいろな条件で模擬的な評議をしてもらう実験を行ってきた。
また後者について、裁判員が実質的に評議の場に参加できるようにするために、実証研究と並行して、裁判員の評議の一部を体験できる「裁判員裁判ゲーム」を開発してきた。「なぜゲーム?」と思う人もいるかもしれない。裁判員は、多くの国民にとって、初めて経験する制度となる。初めてであれば、勝手もわからず、各個人の力を発揮するのが難しいこともあるだろう。他の人や専門家である裁判官に自分の感じたことを相手が分かるように話すことは予想以上に難しいかもしれない。そこで、ゲームの実験を通して、裁判員が評議に少しでも参加しやすくなればと考えている。
研究テーマ2
媒介物のルールの解明と作成
もう一つ、裁判員の研究とは少し違う視点の研究も行っている。あなたは人に何かを伝えるときに、どのような方法を使っているだろうか。言葉、文字、表情、絵、など、さまざまな方法が思いつくだろう。人に何かを伝えるとき、そこには必ず、音声や身体、記号など、何らかの媒介物が存在することになる。媒介物なしに人は、何かを伝えるのは困難である。そして、さらに言えば、物事を考えるのにも媒介物が必要である。たとえばイメージや言語がなければ物事を考えるのは困難である。しかし逆に言えば、われわれの思考やコミュニケーションは媒介物に大きく制限されているともいえる。思考の基盤になる身体がどのような状態にあるのか、どのような言語を使って考えるのかによって、何をどれくらい伝えられるのか、何をどれくらい考えられるのかは異なる。たとえば机の上に散らばった10円玉を数えるときに、体を動かさないように数えようとすると非常に難しい。母国語以外の得意でない言語で、冗談を考えようとするのも同じく難しいだろう。こうした現象について、実験的な手法を用いて研究を進めている。
心理学の目的と方法
心理的な世界に関して言えば、人はそれぞれ井の中の蛙である。人はそれぞれ、世界とはこういうものだという知識をもって生きている。私たちは、一つの世界を世界中のみんなで共有しているつもりでいるが、あなたから見える世界の見え方と、隣の席の人から見える世界の見え方は、時には大きく異なる。それぞれの世界観は、それまでの生育過程の中ではぐくまれたものであり、経験や文化に大きく依存する。そして、人は自分の世界観の中でしか想像できない。これは、2つの問題をはらんでいる。第1に、自分から見える世界は当たり前すぎて目に見えない、見えていても気付けないという問題であり、第2は、他者も自分と同じ世界観を当然持っていると思い、他者の世界観について想像するのが難しいことがあるという問題である。たとえば、あなたが自転車に乗れるなら、乗れない人がうまく乗れずに転んでしまう感覚を感覚的に理解できるだろうか?人類の平均身長が10メートルだったらどういう生活があって、どういう苦労があるのかを想像できるだろうか?おそらくそれは難しいだろう。
心理学は、多くの人が「当たり前のこと」として持っている共通の傾向を明らかにするとともに、(自分とは違う)多様な世界の見え方を持っている人の世界について明らかにしようとする。あなたが「こんなふうに感じるのは自分だけに違いない」と思っていることであっても、みんなも同じように感じていることかもしれない。逆に、あなたにとって当たり前のことは、他の人にとっては信じられないことかもしれない。
しかし、人の心が人の心について考える心理学には大きな矛盾がある。心が心について考えても、考えるほうの心がもともと想像/理解できるものしか理解できない。それなら結局、考えるほうの心が知っていることしか知ることができないのではないか?この矛盾を解消するために、心理学は、人間の想像力を超えるための方法を開発しようとしてきた。それが心理学の研究法と呼ばれるものであり、実験や数量化、質的研究法などがある。
実験と呼ばれる方法では、実際にコントロールされた条件下で試してみて、自分の想像との違いを体験することで自分の想像力を超えようとするし、質的研究法では、生の情報が本来もつ意味から離れないように離れないように「手のひらサイズ化」することで自分の想像力を超えようとする。これらの方法は、われわれが普段見ている世界の見方に制約を課して、ある特定の一面だけから見ようとするものであるが、そのように制約が課されたからこそ初めて見えるものも少なくない。
教養としての心理学の意義
それぞれの学問の専門家になることは、(時には他の角度からのものの見方を忘れてしまうのと引き換えに)その専門分野からの世界の見方を徹底的に身に引き受けることであるといえる。心理学者として私が提供できるのは、心理学という学問からみた世界の見え方であり、その角度から世界を見るときに有用な方法論や概念や考え方である。皆さんが、将来問題に出会ったとき、心理学という他分野のものの見方、考え方に触れた経験が、(直接的ではなくても)解決の手掛かりとなるかもしれない。そこで私の担当の授業では、「心理学」という眼鏡を通して見ている世界を、皆さんにお伝えしたいと思う。
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