関野吉晴

せきの・よしはる
SEKINO, Yoshiharu

文化人類学

教授

Professor

2002年着任
1949年東京都生まれ
一橋大学法学部卒業
横浜市立大学医学部卒業

研究テーマ:

研究テーマ:1―狩猟採集民の生態と社会。2―世界の伝統医療と代替医療。3―人類の移動と拡散。4―初期日本人のやってきた道。5―アンデス、ヒマラヤ、エチオピアなどに住む高地民。

著書:『グレートジャーニー・地球を這う』ユーラシア・アフリカ編、ちくまカラー新書 '05年。『グレートジャーニー・地球を這う』南北アメリカ編、ちくまカラー新書 '03年。『グレートジャーニー・原住民の知恵』光文社知恵の森文庫 '03年。『新ビーグル号探検記』小学館 '04年(共著)。『幸福論』東海教育研究所 '03年(写真家長倉洋海との共著)。『インカの末裔と暮らす』文英堂 '03年。『ネブリナ山探検紀行』NHK出版 '87年(共著)。『トウチャン一家と30年』朝日新聞社 '86年。『インカ』立風書房 '80年。『文明なき幸福』かんき出版 '78年。『ぐうたら原始行』山と渓谷社 '74年。
写真集:『「ケロ」遥かなるインカの村』朝日新聞社 '84年、『アマゾン源流』日本テレビ '85年、『ギアナ高地』講談社 '89年、『オリノコ』講談社 '91年、『南米大陸』朝日新聞社 '91年など。
個展:「グレートジャーニー写真展」新宿高島屋 '02年、「関野吉晴写真展」東京オペラシティ '02年。
植村直己冒険賞、旅の文化賞受賞。

http://www.sekino.info/

旅の原点

アムール川流域(シベリア)に住む先住民ウリチのおばあちゃんと一緒に

アムール川流域(シベリア)に住む先住民ウリチのおばあちゃんと一緒に

2005年8月撮影
一橋大学に入るとすぐに探検部をつくった。欧米以外のどこかに行きたかった。インドでもアフリカ、東南アジア、南米でもどこでもよかった。自然も文化も自分の生まれたところとはまったく違う空間に自分を放り込んでみたかった。「そうすれば自分がクリアに見えるのではないか。自分を変えられるのではないか。」と思った。
その頃、早稲田大学の探検部は世界最長のナイル川を下っていた。川下りは十分トレーニングを積んでいた。早稲田が世界最長の川なら私は世界最大のアマゾン川を下ってみようと思った。今と違いインターネットなどない。アマゾンに行ったことのある人は結構いたが、そこの未知の辺境に行ったことのある人は少ない。そういう人が見つかると九州でも、北海道でも駆けつけて直に話を聞いた。その間に資金稼ぎのためのアルバイトもしなければならなかった。好きなことをやるために親からの仕送りも断った。生活費も稼がなければならなかった。
1971年に1年間アマゾンを旅して以来、20年間南米だけを歩いてきた。密林の奥地に外部の社会と接触を持たない人々がいると聞けば、1週間でも10日間でもかけて歩いていった。密林にインカ遺跡が眠っていると聞けば、数年がかりで探し歩いた。また、アンデスにインカの伝統を残した村があるときけば、嬉々として訪ねていった。又、ギアナ高地に未知の山があると聞けば登り、深い洞窟があると聞けばザイルをたらしてもぐってみた。
しかし興味の対象は主にその土地に生きている人間だった。むき出しの自然のなかで、その自然と一体となり、そこに一部であるかのように暮らしている人々がいる。その人達の村を訪ね、「何でもしますから、泊めてください。」と言って頼み込み、同じ屋根の下で寝て、同じものを食べて暮らした。そういう村にできるだけ長く寝泊まりするという、定住型の旅が続いた。
法学部に入ったが、法律の勉強よりも歴史や社会学、文化人類学のほうが興味があった。国際私法を専門とするゼミ教官は「法学部に入学したからといって法律を勉強しなくてもいいよ。私も学部時代は哲学と数学ばかりやっていたもんだ。大学院に入って初めて本格的に法律の勉強をするようになったんだ。学生時代にしか出来ないこと、しっかりとしたものの見方とか考え方を身につけることのほうが大事だよ。」と仰った。同じ学年のゼミ生は2人だけだった。相棒も法律の勉強より「インド」に関心があった。ゼミ教官は好きな勉強をしてもいいが、真剣に調べて毎週2人で交代で発表するようにと言う。隔週の発表は結構きつかった。
法学部を卒業した後、社会学部に学士入学して「社会人類学」と「社会心理学」のゼミに入った。大学8年目、将来どうしようかと思案した。南米の旅を続けたい。そのためにはいくつかの選択肢はあった。ジャーナリスト、写真家、研究者など。しかしアマゾンで知り合った友人たちとは調査や取材の対象ではなく、友達として付き合っていきたいという気分があった。「何でもしますから泊めてください。」と言いながら、足手まといに過ぎなかったが、医者になれば現地の人にも役に立つだろう。自分の健康管理もできるし、人間の心と身体にも興味があった。そこで医学部に入りなおすことにした。
私の友人や親類とそっくりな顔をした人々もいるアンデスやアマゾンを歩いているうちに、「この人たちの先祖は、いつ、どこから、どのようにしてやって来たのだろうか。」という問いが沸いてきた。
人類がアフリカで誕生したということは間違いないようだ。アフリカから出た人類は世界中に適応、拡散して行った。そのうちの一部は、シベリアを通り、アラスカを通り、パタゴニアに至った。人類拡散の歴史の中で最も遠くまで行った人々の旅路を、イギリス生まれのブライアン・M・フェイガンという考古学者が「グレートジャーニー」と言った。私はこの大遠征のルートを、土地の先住民と接触しながら、自分の脚力(徒歩、スキー、自転車)、腕力(カヤック・カヌー)および自分で操作できればという条件付で動物の力を借りて(犬ぞり、馬、トナカイぞり、ラクダなど)、移動した。大昔の人々が旅路で感じた暑さ、寒さ、風、匂い、埃、雨、雪に触れ、身体で感じながらゆっくりと進みたいと思ってはじめた。
自分の足で這いずりまわり、自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考えたい。そして人類にとって普遍的な「問い」を考えたい。よく引き合いに出されるのがゴーギャンの畢生の名作だ。「我々はどこから来たのか。私は何者なのか。我々はどこへ行くのか。」今はボストン美術館に展示されている。誰でもが抱いている疑問だ。
グレートジャーニーでは旅を織物に例えて続けてきた。縦糸がミニ・エクスペディションつまり移動で、横糸が「自然と一体となって暮らす人々の中に入っていく」などの寄り道だ。縦糸と横糸があって初めて布ができる。この旅で織られた布とは何か。自分自身のモノの見方とか考え方に刺激を与えてくれる生き方、考え方であり、それによる新たな気づきだ。
「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか。」という問いへの答えは簡単には出てこない。しかし旅は多くのヒントを与えてくれたことは確かだ。
グレートジャーニーを終わった段階で30年間、5000日近くにわたって海外の辺境の旅をしてきたことになる。それでは初めてアマゾンに行った頃の「己を知る」「己を変える」ことは出来たのだろうか。自分自身の新しい発見はあったのだろうか。南米での旅で、私の付き合ってきた人々、社会は「効率を優先させない」「競争を好まない」「時間がゆったりと流れている」のが特徴だった。日本の対極にある社会といえる。私は団塊の世代で、競争世代だ。競争があたり前だと思っていたし、それが嫌いでもなかった。それだけに最初はアマゾンやアンデスの社会ではいらいらし、じれったくなることが多かった。しかし、次第になじんできて、居心地がよくなってきた。日本の社会のほうが快適さ、便利さ、モノの豊かさを求めるあまりに非人間的になっているのではないかとさえ思うようになった。
フエゴ島の南、ナバリーノ島を出発し、ビーグル水道をカヤックで漕ぎ出したのは1993年12月5日だった。それ以来足掛け10年かけてゴールのタンザニア、ラエトリに着いた。多くの人に支えられながら、自分ながらも「いい旅」をしてきたなと思う。誰でもが通れるわけではない場所を通り、たくさんの魅力的な人々と出会った。20年間の南米の旅が余りにも印象が強かったために、グレートジャーニーは新しい発見の旅というより、南米の旅で感じたことを確認するような旅だった。
現在は私たち日本人の祖先がやって来たルートを辿る、新グレートジャーニーを始めている。前と同じように動力を使わない旅だ。最初は2004-2005年の2年間でシベリア、サハリンを経由して北海道に入ってくる北方ルートだ。2005年夏に宗谷海峡をカヤックで渡って北方ルートを終えた。2005年秋からヒマラヤの南からインドシナ、中国、朝鮮半島を経由してやってきた南方ルートを歩き始めた。最後が極北とともに人類拡散の障壁だった海を克服した人たちの「海のグレートジャーニー」を行うとともに、インドネシア方面の海からやってきた日本人の祖先のルートを辿る予定だ。
それとともに国内で、マタギ、鷹匠、東京の東部、西部でモノ作りをしている人たち。足元から日本人のルーツを探る旅、調査も継続している。


著書・写真集・映画

『グレートジャーニー・人類5万キロの旅』全15巻、小峰書店、1995-2004年 嵐の大地パタゴニア/チチカカ湖をめざして/はるかインカを訪ねて/失われた世界を行く/中央アメリカをかける/ナバホの国へ/ベーリング海峡を渡る/北の狩猟民とともに/道なきツンドラをゆく/トナカイ遊牧民と暮らす/バイカル湖への道/草原と砂漠のモンゴル/チベツトの聖なる山へ/イスラム世界を走る/人類発祥の地アフリカ
写真集『グレートジャーニー・人類400万年の旅』全8巻、毎日新聞社、1995-2002年 南米編①/南米編②/中・北米編/アラスカ編/極東シベリア編/シベリア・モンゴル編/チベット・ヒマラヤ編/中東・アフリカ編
『グレートジャーニー全記録』毎日新聞社、2006年 ①移動編 我々は何処から来たのか/②寄り道編 我々は何処に行くのか
モンゴルの少女との交流を描いた映画『プージェー』2006年。 ページの最初へ