篠塚千惠子

しのづか・ちえこ
SHINOZUKA, Chieko

西洋古代美術史(ギリシア美術史)

History of Western Ancient Art, Greek Art

教授

Professor

2009年4月着任
1948年大分県生まれ
早稲田大学大学院文学研究科
博士後期課程単位取得満期退学

研究テーマ:

古代ギリシアの公的美術と私的美術の図像の問題、古代ギリシアの物語表現、南イタリア・シチリアにおける古代ギリシア人の異文化交流。

大学の卒業論文以来、古代ギリシア美術を研究。大学院博士課程在学中にイタリアに私費留学('78-'81年)、これによって南イタリア・シチリアにおける古代ギリシア美術とその受容という問題を考え始める。
'95-'97年、'07-'09年科学研究費補助金による「パルテノン神殿の造営目的に関する美術史的実地調査」(第1次研究代表者水田徹、第2次研究代表者長田年弘)に研究分担者として参加、古代ギリシアの公的図像としてのパルテノン彫刻の研究に取り組む。最近は、クラシック期アテネの葬礼美術を再考し、死者像のジェンダー的表現や独特の死生観を探求している。
'96-'98年、横浜美術短期大学教授。'98-'08年、東北芸術工科大学教授。
著書:『世界美術大全集』3,4巻 小学館(共著)、『西洋美術への招待』東北大学出版会(共著)、『死と来世の神話学』言叢社(共著)ほか。
最近の論文:「パルテノン神殿東フリーズの行列の女性たちの衣裳に関する一考察」武蔵野美術大学研究紀要第41号。
訳書:ジュゼッピーナ・チェルッリ・イレッリ他編『ポンペイの壁画Ⅰ,Ⅱ』岩波書店(共訳)、エリー・フォール著『美術史1 古代美術』国書刊行会、スーザン・ウッドフォード著『古代美術とトロイア戦争物語』ミュージアム図書(共訳)ほか。
美術史学会、美学会、日本西洋古典学会、イタリア学会、地中海学会会員。

SHINOZUKA, Chieko

Professor


Professor of Western Art History. She has taught since 2009 at this university, giving lectures on Greek and Roman art, Iconography of Greek mythology and History of ancient Mediterranean painting. A scholar of Greek art, she has studied Greek funeral art and Greek Vase Painting and has researched since 1995 as an investigator of the Parthenon Project Japan the Parthenon sculptures at the British Museum in London and at the Acropolis Museum in Athens. Member of the Japan Art History Society, the Japanese Society for Aesthetics, Collegium Mediterranistarum and the Classical Society of Japan. Co-author of New History of World Art,vol.3,4 (Tokyo, 1997,1996), Mythology of Death and the Other World (Tokyo, 2007), and others.
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上段左:第一次調査の最終年1997年3月の実地調査の際にパルテノン神殿内室西正面上部の水平部材に上る許可を得た。10メートルを越える高みから南側を望んだ景色。内室部分は修復の作業場となっており、石材が散乱している。南側の柱の間からすぐ下に見える建物が旧アクロポリス美術館。第二次調査で2007年に訪れた時にはすでに閉館され、新美術館への作品移送の真っ最中だった(下段左を参照)。

上段右:2009年6月20日に開館した新アクロポリス美術館。最上階のパルテノン・ギャラリーのガラス壁にアクロポリスが映っている(第三次パルテノン調査2年目、2012年11月4日撮影)。

下段左:第二次調査初年度2007年11月に準備中の新アクロポリス美術館内部をアテネ地区考古局長マンティス博士の案内で見学。最上階のパルテノン・ギャラリーの総ガラス張りの壁から見えるパルテノン神殿、コンテナを空輸中の大型クレーン。手前に見えているのは空輸されたばかりのコンテナ。

下段右:第三次パルテノン調査2年目、2012年11月5日に特別許可を得て休館日の新アクロポリス美術館にてパルテノン彫刻を調査。パルテノン・ギャラリー西側の展示状況。西破風彫刻、西メトープ彫刻、西フリーズが見える。


パルテノン彫刻の研究

1995-97年科学研究費補助金による「パルテノン神殿の造営目的に関する美術史的実地調査」(研究代表者は当時学芸大学教授水田徹氏)に研究分担者として参加した。以来、ギリシア美術史研究者の夢ともいうべきパルテノン彫刻の研究に取り組むこととなり、’07-09年の第二次調査、’11-14年の第三次調査(第二次、第三次の研究代表者は筑波大学教授長田年弘氏)にも参加して研究を続けている。
実地調査は彫刻が対象なので、アテネのアクロポリス美術館とロンドンの大英博物館が重要となる。よく知られているように、大英博物館には19世紀初頭にイギリスの貴族エルギン卿によって現場から運び出されたパルテノン彫刻の数多くの遺品が収蔵されており、第一次調査の時からキュレータ、イアン・ジェンキンズ氏の計らいで、観光客の未だ押しかけない早朝に目視調査や写真撮影を行うのが慣例となっている。
アテネでは、1970年代に始まったアクロポリスの記念建造物の保存修復事業が今や大詰めを迎えつつあるが、2009年6月にアクロポリスの丘下にバーナード・チュミの設計になる新しい総ガラス張りのアクロポリス美術館が開館したことは目覚ましい大きな出来事であった。第二次調査のあいだ最初の2年間は、閉鎖された丘上の旧アクロポリス美術館から丘下の新設の美術館に作品を移送中、3年目は開館直後のために特別調査の許可がおりずという状態であった。
ようやく第三次調査になって、2012年秋に、新アクロポリス美術館最上階のパルテノン・ギャラリーでの特別専門調査が許可された。このギャラリーにはパルテノン神殿内室に見立てたアトリウムを核にして、神殿内室の外壁を飾っていたフリーズ浮彫も、柱廊外壁のメトープ彫刻も、切り妻屋根を飾っていた東西破風彫刻も、できる限りかつての外観を彷彿できるよう、複製を多用しながら復元展示されている。ガラス越しに実際のパルテノン神殿が眺められ、これらの彫刻の拠って来るところ、つまり文脈が把握できる仕組みになっている。神殿と彫刻の可能な限りの「交感」が企図されているのだ。新美術館のこの見事な展示方法によって―たとえ多くの複製に頼るとしても―今までなし得なかったパルテノン彫刻の全貌を把握することがぐんと容易になった。調査隊のメンバーは研究のいっそうの促進と新たな発見を目指している。


ギリシア美術を読み直す

エリー・フォール著、篠塚千恵子訳 『美術史1 古代美術』

エリー・フォール著、篠塚千恵子訳 『美術史1 古代美術』

国書刊行会、2002年
20世紀の間に古代ギリシア美術史学は大きく変化した。研究方法も、作品の評価、解釈も前時代に比べると一変したといえるほどだ。従来、ローマ時代の模作の助けを借りなければギリシア美術の歴史を語れなかったのが、発掘によってオリジナルのギリシア作品が飛躍的に増え、新たなギリシア美術の歴史を組み立てなければならなくなった。一方また、美術史学全体においても「新しい美術史学」を目指す動きが活発になっていった。
こうした激しい変化のなかで自らのギリシア美術に対する見方も研究方法も見直さざるを得なくなる。あれこれ試行錯誤を続けているときに、刺激的な翻訳の仕事にぶつかった。20世紀初めに活躍したフランスの美術批評家エリー・フォールの『古代美術』(1909年初版)の翻訳である(拙訳が出たのは2002年)。西洋の美術の歴史ではなく、アルタミラの洞窟画から現代までの、近東、インド、中国、日本までを含めた人類の美術の歴史を叙述するという壮大な企図をもった『美術史』と題した叢書の最初の巻。それ故この巻は先史、エジプト、オリエントの諸美術に、ギリシア美術とローマ美術が加わるという構想だった。だが、他の美術には1章ずつの配分なのに、ギリシア美術に関しては4章も割いた『古代美術』が出来上がった。フォールはギリシア美術に並外れて大きな位置を与えたことをずっと後悔し、改訂版を死の年までもくろんでいた。
フォール自ら告白しているように、彼は当時未だ古典主義的思想によって生きていた。その思想に対して反抗しているつもりでも知らず知らずのうちにその思想が課した方向に従って思索していたのだった。古代ギリシア文化は西洋文明の源、手本として、あたかも高い台座に据えられた銅像のように、長きにわたって仰ぎ見られてきた。19世紀後半にアカデミーの権威の失墜の後、多くの革新的な芸術運動が起こり、古典主義の伝統は断ち切られたかにみえた。しかし、古典主義的見方は20世紀を過ぎてからも芸術家や批評家、文化人たちの「視」を大なり小なり規制し続けてきたのだ。学生時代に彼らの作品や著作になじんできた私にもなおそうした「視」は消えていなかった。
フォールが思い描いていた改訂版ではギリシア美術は人類の美術の広がりのなかでそれにふさわしい平面に置き直されるはずだった。「だからといってギリシア美術はそこで何ものも失わない、なぜなら人がギリシア美術のために置き、私自身も先ずはそれによってギリシア美術を認めた台座はわれわれすべてを滑稽な強調に陥らせ、ギリシア美術を高貴にしたいと望みながら逆に低めてしまう結果になったから」とフォールは述べている。若き日に訪れた大英博物館のパルテノン彫刻と『古代美術』執筆前に母と旅して見たギリシアの遺跡や美術を、終生賛美し愛し続けたフォールの葛藤が私には他人事には思えなかった。
21世紀に入った今、ギリシア美術は人類の美術の歴史の広大な平原のなかに台座無しで他の美術と並んで置かれている―どちらかというと陽の当たらない片隅に。古典主義というフィルターを外して間近に見る素顔のギリシア美術、虚像ではなくその実像を求めてギリシア美術を読み直し、現代におけるその意味を考えつつ研究をしている。

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