大石紗都子

おおいし・さとこ
OISHI, Satoko

日本近代文学

Japanese modern literature

准教授

Associate Professor

2021年4月着任
1985年神奈川県生まれ
東京大学大学院人文社会系研究科
日本文化研究専攻博士課程修了
学位:博士(文学)

研究テーマ:

近代文学における古典文学受容(特に堀辰雄の作品、西洋文学や戦時下との関わりについて)。

単著:『堀辰雄がつなぐ文学の東西―不条理と反語的精神を追求する知性―』晃洋書房 '19年3月
学会発表・講演:第38回国際日本文学研究集会(ポスター発表)「昭和十年代の「みやび」」於 国文学研究資料館 '14年11月29-30、緑陰講座(講演)「堀辰雄と古典文学―「戦時下」と女性像」於 堀辰雄文学記念館 '16年8月7日
学会運営等:ワークショップ「日本人の日本文学研究、外国人の日本文学研究」於 北京外国語大学 北京日本学交流センター'13年7月、昭和文学会会務委員 '13-16年、'19-21年
原作・資料調査を担当した作品(筆名「紗都子」):漫画/遊佐ハルカ・原作/紗都子『夏目家の三姉 ―吾輩は猫であるの頃―』少年画報社 '20年6月、漫画/魚乃目三太・資料提供/紗都子『ひきだしにアンパン』少年画報社「思い出食堂」57号 '21年3月

OISHI, Satoko

Associate Professor


My Research theme is the reexamination of the possibilities of literature that were cultivated under the war regime(especially during the World WarⅡ) and ideological control. I attempted to investigate and analyze the historical meaning of the relationship between Western literature and Japanese classical literature in the creation of Tatsuo Hori(1904-1953), and elucidate the contemporary situation of the literary people at the time.
Recently, I also worked on the Comic("manga") about Soseki Natsume(1867-1916). I will unravel the footprint of a writer who has continued to pursue the dignity of individuals in the difficulties unique to nationalism and modernization.

1. 日本の近代文学と古典文学

学生の頃から古典文学と近代文学、両者に惹かれながらどちらも熟知せずにいた中で、選んだテーマが「近代における古典文学受容」でした。そこおいて避けられないのはナショナリズムと伝統との関係です。とりわけ私が関心を抱いたのは「古典回帰」と呼ばれる現象でした。昭和十年代頃を中心とした戦時体制下、古典文学が日本人の精神や正統性を象徴するものとして、やみくもに国家賛美のため利用されてしまった歴史でもあります。本テーマには、多くの課題が見出されますが、たとえば次のようなものがあります。
1点目は、戦時下や近代化という暴力的なまでに個人の意思を超えた外発的な条件の中で、いかにして人は個の尊厳を見出すのかという問題です。ともすれば国家への協力が、個人の存在意義や主体性のあり方にすり替えられた時代において“自分の人生を生きる”道を当時の文学者達はどのようにして捉えていたのでしょうか。
2点目は、題材が限られた中で、戦争の時代を超えて後世に託しうる作品を残すには、どのような発想がありえたのかという問題です。
3点目は、当時の学界(国文学研究)が、どのような自己規定のもとに学問を推し進めていたかという問題です。当時の文献からは、戦争利用のために古典文学を評価するのでなく、公正な学問的評価を守ろうとした知識人たちの苦悩も見えてきます。彼らは、一見すると戦時体制を弁護するような言葉を語りながら、その実、批判を忍ばせるといったような入り組んだ叙述表現によって、古典や文学を語るようになっていきます。そうした屈折と奥行きは、「文学研究」の蓄積があってこそ見えてくるところだと思われます。
以上の3点を追究することは、以下の対照的な角度から、時代と文学や作品との関連を問い続けることでもあります。
・戦争が日本人にとって決して忘れてはならない過誤であることは間違いないとして、しかしその中でどのような想像力や知性が人間の生の意志や希望を守っていたのか
・一方そうした英知がありながら、なぜ戦争が食い止められなかったのか
その鍵を握るのは、昭和十年代の文学における伝統と西洋的教養とのせめぎ合いのあり方です。
その両者に関わる作家が、研究対象となった堀辰雄でした。


2. 堀辰雄と戦時下

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『堀辰雄がつなぐ文学の東西
―不条理と反語的精神を追求する知性―』

晃洋書房、2019年3月
堀辰雄は『聖家族』『風立ちぬ』など、西洋文学の影響が色濃い作品が知られています。しかし昭和十年代になると、「古典回帰」の風潮に従うかのように古典文学を題材として、死や悲劇を作品に描き続けます。そうした足跡は一見、ナショナリズムや戦時下の死の美学に同調しかねない危ういものともみえます。しかしながら、堀辰雄の作品は死や悲劇を見つめながらも、直接的な戦時下の現実を感じさせないものばかりです。そうした作品が戦時下にあってなぜ描かれ、今日にも残る達成の一つとされるのかを、考えてきました。
そのような観点で考えると、堀辰雄は古典文学を取り入れるにあたっても当時の復古主義とは異なる独自の視点を持っていたことが見えてきます。堀辰雄の古典文学受容に特徴的な点は、西洋との関わりに通ずる発想が濃厚だったのみならず、作家でありながら当時の学者が読むような専門的な研究書まで深く読み込んでいた点です。
具体的に彼の蔵書や直筆資料を参照するとその専門性が窺えます。彼は『伊勢物語』・『源氏物語』・『今昔物語集』・『狭き門』・『失われた時を求めて』・中国の漢詩など、東西にわたる様々な作品を、解説書などと併せて読み込んでいました。たとえば一口に『伊勢物語』といっても様々な流布本が存在しますが、蔵書を調査することで、とりわけ堀が日本の古典文学のうち、どの書籍をどのように読んで作品を着想していったのかが詳らかになります。彼の足跡を辿ることで、創作(作家)と学界(研究者)との応答関係や、1930年代の教養形成の一側面を発掘することになり、当時の国文学や伝統を取り巻く実態を明らかにすることにもつながります。
その上で堀は創作の中で、死の讃美ではなく、孤独や悲しみがあっても歩み続ける人間の生にこそ焦点を当てていました。それは彼が、学問的視点と西洋文学の素養を持っていたからこそより深められた古典文学受容の形でした。堀辰雄が戦争にも侵されない人間本来の宿命である死や悲しみを見つめ続けたことは、密かな反戦の表明だともいえます。しかしそれは、自身の病や戦時下による限られた制約を醒めた視点で見据えつつ慎重に選び取ったものである点で、現代からみればささやかで屈折した反戦の表明かもしれません。
戦時下という物理的にも思想的にも極度の制約を受けた中で編まれた作品を、戦争協力と無縁でないというだけで、批判したり切り捨てたりすることは建設的ではありません。かといって手放しに肯定することも、当然のことながらできません。そう考えると私達は幸運にも日本の戦争がない時に生きていますが、だからといって戦争の問題を真に乗り越えている訳ではないのでしょう。厳しい状況下で当時の文学者達が何を考え、何を創ってきたのかを少しでも明らかにすることは、人間の営みを見つめ直す重要な契機だと考えます。

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東京大学学術成果刊行助成(東京大学而立賞)に採択された著作を著者自らが語る広場
(日本語)▶︎https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/A_00134.html
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3. コミカライズと文学研究がひらく世界

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『夏目家の三姉妹―吾輩は猫であるの頃―』

遊佐ハルカ、原作:紗都子
少年画報社、2020年6月
近年は、ご縁があって夏目漱石の作家人生をモチーフとした漫画原作なども手がけました。
夏目漱石は、芥川龍之介との関わりがある点・西洋化と伝統とのせめぎ合いの中で近代国家の時代に生きる個人の尊厳を追究し続けた点・死や重病と向き合う体験など、堀辰雄とつながるところの多い作家でもある気がします。この発想を突き進めると巨視的には、急速な近代化の間で、いかなる技術や権力を以てしても暴ききれない人間心理の複雑さ、内的世界の奥行きを問い続けた作家達の軌跡が見えてくると考えています。
文学は、人間がいかなる表現によって、不条理や複雑な葛藤を形にしうるかという挑戦と誠実さの形を常にあらたに教えてくれます。ひいては今の社会がどのようなことを忘れかけているか、何が欠けていて、何があればより現実が豊かになるのか、虚構や創造力を武器に難問に挑み続けるヒントが無数に含まれています。
漫画や映像文化もますます無視しえなくなっている文学概念の転機に対して、文学研究が与する機会がさらに増えれば良いなと考えています。


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