北澤洋子

きたざわ・ようこ
KITAZAWA, Yoko Osano

西洋美術史、西洋工芸史

History of Western Art

教授

Professor

1999年4月着任
1958年神奈川県生まれ
東京藝術大学大学院
美術研究科博士後期課程
単位取得満期退学

研究テーマ:

初期ネーデルラント絵画史・ルネサンス期イタリアとネーデルラントの美術交流・西洋ガラス工芸史。

初期ネーデルラント絵画の諸問題、絵画空間の現象性、ガラス工芸技法の独自性、ガラス工芸作品の量産性と美的価値などを研究。
著書:『世界美術大全集』第14巻「北方ルネサンス」小学館(共著)、『世界ガラス工芸史』美術出版社(共著)、『西洋美術史』武蔵野美術大学出版局(編・共著)ほか。
論文:「ガラス凸面鏡と絵画空間」『民族芸術』Vol.13、「絵画に見るヴェネツィア・ガラスの揺籃期」『GLASS』33号、「十五世紀後半のフィレンツェ絵画に果たしたロヒール作『哀悼』の役割」『美術史』129号など。
訳書:E・ホール著『アルノルフィーニの婚約』中央公論美術出版(共訳)ほか。
美術史学会、美学会、民族藝術学会、日本ガラス工芸学会、日仏美術学会、ほか会員。

KITAZAWA, Yoko Osano

Professor


After pursuing Western art history in both undergraduate and graduate courses at Tokyo University of the Arts, Kitazawa was employed as a junior fellow at the Japan Society for the Promotion of Science. Later, she taught Western art history as a part-time lecturer at several universities. In 1995 she became an associate fellow at the Getty Research Institute for the History of Art and the Humanities in Santa Monica. In 1999 she took a position as associate professor at Musashino Art University, and was promoted to professor two years later. Her particular focus is the history of early Netherlandish painting and glasswork. She is a member of the Japan Art History Society and currently serves as vice president of the Association for Glass Art Studies, Japan.

絵画の再現性

『アート・アンド・イリュージョン』、これはエルンスト・ゴンブリッチという研究者による著作である。『芸術と幻影』といういささか解りにくい邦題で訳出されている。ゴンブリッチは、古代ギリシア美術以来19世紀の概ね印象派に至るまでの西洋美術の歩みを、可視世界の対象をできうるかぎりあるがままに描こうと努力してきた絶え間ない造形的営みとみなし、そのあるがままの再現をめざす芸術行為にこのイリュージョンという言葉を用いている。中世の一時期を例外とすると、西洋の美術は確かに自然主義的もしくは写実主義的な再現性の展開であった。ゴンブリッチの言葉を借りればイリュージョンづくりの歴史であった。
ルネサンスの絵画は、その中でも際だって自然主義的な再現性の可能性を探求した。15世紀のイタリアわけてもフィレンツェでは、エルヴィン・パノフスキーの表現によれば「目と対象の距離の発見」、すなわち線遠近法の発見、つづく解剖学および光学研究の発展と相まって、画家たちは絵画画面に可視世界の三次元的なイリュージョン、つまり再現を構築することに腐心した。彼らはなによりもまず数理的な理論に依拠した再現を呈示したと言ってよい。再現性の可能性が追求された時代である。
1410年頃若いブルネッレスキたちは、透視のための光学装置を、「カーメラ・オプスクーラ」(針穴を開けた暗箱)と板と小型の「平らな鏡」を用いて制作した。この実験を受けてアルベルティは『絵画論』(1435/36年)に、「絵画とは視覚ピラミッドの切断面にほかならない。」と明記し、升目として太い糸を渡した、透ける布(ヴェール)を、方形の枠に張った道具「ヴェーロ」を制作した。ヴェーロを透して視た対象を卓上の、同様に升目を施した紙に写し取ったのである。今日、いわゆる「石膏デッサン」などをする際に、「デッサンスケール」あるいは「デスケル」という商標の道具を用いた経験のある人は多いだろう。これはまさにアルベルティが記した「ヴェーロ」である。1480年代にレオナルド・ダ・ヴィンチは、アルベルティの言説を継承し、「プロスペッティーヴァ(パースペクティヴ・透視図)」を実践するために、板ガラスを用いた透写装置を考案した。さらに、イタリア旅行を重ねたドイツのデューラーの著作『測定法教則』が、1525年に透写装置の図解入りで刊行されると、当時の活版印刷術の進展と相まって、アルベルティ以来の透視図法(線遠近法)理論の実践方法は、広く後世に、若い芸術家たちの修業の手引きとして伝えられることになった。
こうしてわれわれの手元にプラスチック製の「デッサンスケール」があるわけだが、この現代の「ヴェーロ」は使い易いだろうか。片眼で見ても両眼で見ても違和感がある。レオナルドにしても自ら考案した透写装置を用いたそのままの構図の作品を残してはいない。装置はあくまでもアトリエの道具であって、主体は画家自身の眼であった。西洋美術史の授業では、ルネサンス期に限らず、歴史上の「理論」と個々の作品との差異に常に留意しながら、共に作品を見ている。
アルベルティは『絵画論』の別の箇所で、古代ローマの詩人オヴィディウスの『変身譚』中、水の面に映った美しい己自身の像に恋い焦がれたナルキッソスの逸話に関して、「ナルキッソスこそ絵画の発明者であった」と記している。水鏡と絵画の比喩である。「絵を描くことは、まさしく芸術の手段で、泉の表面を掬い取るようなものに他ならないのではないでしょうか。」と記し、「絵を描く」行為と「泉の面を掬い取る」行為を類比している。ここで自然界の光学現象が絵画の起源の問題に通じているのである。しかし、ナルキッソスは泉の水面に映る自身の映像をその手で掴み取ることはできなかった。透視図法の理論を明文化したアルベルティにして、すでにこの逸話との比喩によって、絵画イメージおよび絵画空間がもつ不安定さ、いな、瞬時に消え去る反映としての現象性を、後人に暗に伝えているのではないだろうか。アルベルティは著述家であると同時に、画家であり彫刻家でもあった。


初期ネーデルラント絵画史研究の意義

研究者として当初から初期ネーデルラント絵画史に取り組んでいる。この範疇は、膨大な作品の調査に基づいた様式判断によって、M. J. フリートレンダーが20世紀初頭に規定した。ファン・エイク兄弟からピーテル・ブリューゲル(父)までのほぼ150年間である。
一方、碩学エルヴィン・パノフスキーは1934年に公刊した論考で、ヤン・ファン・エイク作《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(1434年)の画中の日常的なモティーフひとつひとつに象徴的な意味を渉猟し、作品を教会法によらぬ秘密の結婚の証明書であるとした。これを「擬装された象徴主義」と呼び、後に初期ネーデルラント絵画の特徴であると敷衍した(1953年)。さらにイタリア・ルネサンスを対象に、進化した図像学の方法、図像解釈学を打ち立てた。この方法がその後の美術史学に与えた影響は計り知れない。
図像解釈学を方法論として評価しながらも、「図像学は個々の象徴よりもむしろ制度・慣習の研究から始めなければならない」という立場にたつエドウィン・ホールは、《アルノルフィーニ夫妻の肖像》について、古代ローマ以来の制度史を調べ上げることにより、「正式な婚約の一齣」であると、1994年に論じた。パノフスキー以来、時に過剰になる図像解釈への警鐘でもある。E. ホール著『アルノルフィーニの婚約―中世の結婚とファン・エイク作《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の謎―』(中央公論美術出版)、として翻訳(共訳)公刊した。
初期ネーデルラント絵画の創世記について、ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウェイデンらによる、ヤンの一部作品以外には記名も年記も記録もない作品の、互いに絡んだ糸を様式判断と図像学の手法によってほぐすことが、研究課題である。1点1点の作品の比較研究により、膨大な美術史の流れは編まれ、美術史学が成立しているからである。論考としては、ロヒールの絵画と15世紀フィレンツェ派絵画の間に存在したと推定されるアルプスの南北美術交流について、図像学的新知見を披瀝して論証した「十五世紀後半フィレンツェ絵画に果たしたロヒール作『哀悼』の役割」(『美術史』129 美術史学会)、イタリアにおけるヤンとロヒールの影武者(エピゴーネン)の活動などについて論じた「アルプスの北と南の美術交流」(『世界美術大全集第14巻 北方ルネサンス』小学館)などがある。


美術史と工芸史の境界領域

西洋のガラス史における諸問題については、初期中世から近代にわたって論じている。キリスト教美術においては神=福音書の言葉=光であるから、神性を視覚化することは光をいかに視覚的に表現するかにほかならない。黄金は、それ自体の輝きと稀少性から中世の荘厳美術で重用された。ガラスも黄金と同様に光をとらえて目に映す素材であり、さらに採掘によらず人の手で作り出せる素材である。西ヨーロッパの聖堂を彩ったステンド・ガラスは、透過光として神の恩寵の光を見せる装置であり、一方ビザンティン聖堂の壁面装飾であるモザイク壁画は主な描材がガラス製のテッセラで、こちらは反射光としての効果である。このように歴史上ガラスの役割は、器の素材だけに留まらない。
論考としては以下のものなどがある。「初期中世カロリング朝のガラス」(『民族藝術』vol.10 民族藝術学会)においてランス派写本福音書記者頁に描出された角杯が、古代ローマ以来のソーダ・ガラス製フランク・ガラスであることを様式分析・最新の発掘事例に基づいて明らかにし、カロリング朝においてガラスは生産されなかったという定説を覆した。
「絵画に見るヴェネツィア・ガラスの揺籃期」(『GLASS』33 日本ガラス工芸学会)において7世紀から16世紀初頭にわたるヴェネツィア・ガラスの諸相を跡付け、またヴェトロ・クリスタッロ・モティーフへの着眼による『ポルティナーリ祭壇画』およびティツィアーノ作品の図像学上の新解釈を示している。
キリスト教美術を離れて、「20世紀初頭のインダストリアル・デザインから見たルネ・ラリックの香水瓶意匠の芸術的古典性―サントリー美術館所蔵《「四つの女性像」コップ》を中心に」(『GLASS』45)において、サントリー作品が1927年のラリック社カタログに掲載された香水瓶であると特定した上で、1920年代までのラリック社製量産香水瓶における機能性と形体美の両立を論じている。前半生に1点物の宝飾デザイナーとして培った技をいかに量産性へ援用したかを分析し、器形としては前3世紀ギリシアの文献が伝える装置「多角形劇場鏡」にまで遡りうることを明かした。西洋工芸史の授業では、多様な素材の作品を、狭義の「工芸史」の枠内にとどめずに、美術史の潮流のなかに捉え直すことを目指している。 ページの最初へ