柏木博

かしわぎ・ひろし
KASHIWAGI, Hiroshi

近代デザイン史

History and Theory of Modern Design

教授

Professor

1996年4月着任
1946年兵庫県生まれ
武蔵野美術大学造形学部卒業

研究テーマ:

近代デザインの歴史的実践の中に、近代社会と人々の意識や思考、感覚を解読することをテーマにしている。

KASHIWAGI, Hiroshi

Professor


My major is History of Modern Design. And design critic. I have been attempting to spell out modern thought aesthetic through the research in design.
Selected Exhibitions: Curator for the exhibition Tanaka Ikko Retrospective Exhibition, Museum of Contemporary Art, Tokyo, 2003. Curator for the exhibition Fantaisies Cybernetiques, Maison de la culture du Japon a Paris, 2003-4.
Selected Publication: Modan dezain hihan (Critique of the modern design) Iwanami syoten,Tokyo,02.“Shikiri”no Bunkaron (Cultural studies on "boundary") Kodanshsya,Tokyo,04. Tantei-syosetu no shitsunai (Interior of Detective Story) Hakusuisya,Tokyo,11. Dezain no Kyokasyo (The Textbook on Design) Kodansya,Tokyo,11.

現在すすめているテーマ


1:「視覚装置について」
2:「換喩としてのものと主体」

1は、テクノロジーと表現との相互関係を主題としており、それを「視覚装置」に絞り込んだ議論とする。テクノロジーと表現の関係を捉える視点は、古典ともいうべきヴァルター・ベンヤミンの「複製理論」が現在においても重要な位置にある。ニエプスが写真装置を発明した19世紀前半から、ベンヤミンの議論まで、およそ100年をへている。つまり、写真装置というテクノロジーが表現、そして感覚や思考にどのような変化を及ぼすかが100年かかってやっと、その輪郭が描かれた。ベンヤミンに続く多くの議論を前提にし、現在出現してきているデジタルテクノロジーを中心的テーマに考えている。

2は、言葉が人々の存在や世界を組織するように、ものも人々の存在や世界を組織しており、所有物は、所有者の存在の換喩になりうるのではないかという仮説から、「ものと主体」との関係を議論しようとするものである。


主な著作:

『「しきり」の文化論』講談社 2004年。『モダンデザイン批判』岩波書店 2002年。『家具のモダンデザイン』淡交社 2002年。『20世紀はどのようにデザインされたか』晶文社 2002年。『色彩のヒント』平凡社 2000年。『日用品の文化誌』岩波書店 1999年。『ファッションの20世紀』NHK出版 1998年。『20世紀をつくった日用品』晶文社 1998年。『芸術の複製技術時代』岩波書店 1996年。『家事の政治学』青土社 1995年。『ユートピアの夢』未来社 1993年。『デザインの20世紀』NHK出版 1992年、『ミクロユートピアの家族』筑摩書房 1988年。『カプセル化時代のデザイン』晶文社 1988年。『肖像のなかの権力』平凡社 1987年。『欲望の図像学』未来社 1986年(講談社学術文庫 2000年)。『日用品のデザイン思想』晶文社 1984年。『近代日本の産業デザイン思想』晶文社 1979年。ほか。

主な展覧会:

企画監修『日本人とすまい』展シリーズ7回OZONE 1996年から。
企画監修E12; Canadian and Japanese Design for Living,
Harbourfront Center Toronto Canada, 2000.
企画監修Fantaisies CYBER-NETIQUES,
Maison de la culture du Japon à Paris, 2003-2004.
企画監修「田中一光回顧展」東京都現代美術館 2003-2004年ほか。


『「しきり」の文化論』 講談社、2004年

『「しきり」の文化論』
わたしたちは、膨大な数の「しきり」の中で生活している。そもそも、個体間の差異を特徴づけているしきりなしには、個人の同定も不可能であり、さらには生命体そのものが成立しない。
19世紀後半にベルティヨンがパリ警視庁で個人を同定するために考案した身体の測定法にはじまり、現代の生体認証にいたるまでの個体同定のシステムは、個人の社会的・法的同定を目的としてきた。あるいは、免疫システムは、いわば自己と非自己のしきりである。コンピュータに侵入してくるウイルスを防御するワクチンのイメージもどこかしら免疫システムを思わせる。個人を意味するindividualは、否定を意味するinとdivide(分裂させる)という言葉からなっている。つまり、もうこれ以上「しきる」こと「分裂」させることができない存在が個人ということである。そうした個体そして集団、社会は時間的・空間的にどのようなしきりの装置をデザインしてきたのだろうか。本書はしきりの意味を広げて議論することを主題としている。


『モダンデザイン批判』 岩波書店、2002年

『モダンデザイン批判』
モダンデザインへの批判とどこかでふれあいながら、80年代、ポストモダンというタームが流行し、またポスト・モダンデザインと呼ばれる表現が広がった。それらは、モダニズムが準拠してきた論理(物語)や規範を逸脱し、過剰な消費社会の表層を浮遊するようなデザインとして、たしかにそれまでのモダニズムとは異なった、むしろ市場経済や金融の激しい動きに連動するように消費されていった。その現象は、70年前後に広がったモダンデザイン批判を引き受けるというよりは、脱臼させるような接続の現象であった。70年前後のモダンデザイン批判と80年代に流行したポスト・モダンデザインとは、どのような関係にあるのか。そして、90年代以降現在にいたるまで、わたしたちの社会や環境をとりまく事象は、ますますモダニズムが準拠していた論理や倫理がなし崩しに消失してきた。こうした状況は、あるいは、モダニズムの中に当初から埋め込まれていたいわばバグ(矛盾)のようなものの成長によっているのかもしれない。こうした現在においては、モダニズムはもう回収不可能なのだろうか。そうしたことを批判的に検討するべきであろう。本書では、そのことを中心的主題とした。

ページの最初へ