青沼裕之

あおぬま・ひろゆき
AONUMA, Hiroyuki

イギリススポーツ史、近代スポーツ思想史

British Sport History, History of Thought of Modern Sport

教授

Professor

2004年4月着任
1958年長野県生まれ
筑波大学大学院博士課程
単位取得満期退学

研究テーマ:

1930年代イギリスのスポーツ運動・政策。イギリス民衆スポーツ史。

AONUMA, Hiroyuki

Professor


In practical classes at the university I teach tennis, volleyball, and soccer. I also organize extracurricular classes and instruction in scuba diving in the summer and skiing in the winter. I provide even beginners with systematic and careful guidance. My special research field is British sports history, especially sports movements and policies in Britain in the 1930s and sports thought in modern Britain. My papers include Dai-niji sekai taisenka no BWSA to bomei SWSI kokusai-rodosya-supotsu-undo no sengo saiken ni mukete( “BWSA and SWSI in Exile in World War II: Toward the Regeneration of the International Workers’ Sport Movement”) in Hitotsubashi Review of Arts and Sciences, 6, 2012.

著書:

「反ファシズム闘争期のイギリス労働者スポーツ運動―共同・統一へ向けての試み―」成田十次郎先生退官記念論集刊行委員会編『体育・スポーツ史研究の展望―国際的成果と課題―』不昧堂出版、1996年、207-225頁。
「イギリス労働者の休日とスポーツ―組織的日曜フットボール運動の歴史的遺産について―」武蔵野美術大学体育研究室編『スポーツ・健康と現代』(改訂版)武蔵野美術大学出版局、2002年、146-151頁。
「オリンピック大会を自然死させよ!―戦前二つのオリンピックをめぐるイギリス協調外交―」有賀郁敏・池田恵子・小石原美保・福田宏・松井良明・功刀俊雄・真田久・石井昌幸・青沼裕之・山下高行著『近代ヨーロッパの探求8 スポーツ』ミネルヴァ書房、2002年、319-361頁。
「イギリス協調外交と東京オリンピック―『自然死』を待つ帝国―」坂上康博・高岡裕之編著『幻の東京オリンピックとその時代―戦時期のスポーツ・都市・身体―』青弓社、2009年、68-93頁。
「ウォルター・シトリーンの対外交渉―アントウェルペン労働者オリンピアードに向けて―」阿部生雄監修『体育・スポーツの近現代―歴史からの問いかけ―』不昧堂出版、2011年、44-59頁。

翻訳:

スティーブン・ジョーンズ「イギリス労働者スポーツ連盟1923-1935年」およびブルース・キッド「カナダの労働者スポーツ運動」クリューガー/リオーダン編、上野卓郎編訳『論集 国際労働者スポーツ』民衆社、1988年、147-166頁、199-220頁。

論文:

「1930年代後半におけるイギリス社会体育政策―『身体訓練・レクリエーション法』(1937年)を手がかりに―」日本体育学会体育史専門分科会『体育史研究』第6号、1989年、11-22頁。
「研究ノート:1930年代イギリスの『全国労働者スポーツ協会』の足跡」『一橋論叢』第105巻第3号、1991年、108-117頁。
「イギリス労働者スポーツ運動史研究の現段階―Stephen,G.Jonesの研究を中心に―」『尚美学園短期大学研究紀要』第6号、1992年、161-179頁。
「1937〜1939年のイギリスにおける身体訓練・レクリエーション政策の展開―国民体力向上協議会(NFC)の施策を中心に―」スポーツ史学会『スポーツ史研究』第7号、1994年、1-19頁。
「イギリスにおけるベルリン・オリンピック反対運動(1935-1936年)―労働者スポーツ組織の主導的役割について―」『尚美学園短期大学研究紀要』第10号、1996年、1-22頁。
「資料解題:ノエル=ベーカー文書に収められた亡命者のナチ・スポーツ情報資料」『尚美学園短期大学研究紀要』第12号、1998年、111-132頁。
「アントワープ労働者オリンピアードとウォルター・シトリーン」『尚美学園大学総合政策研究紀要』第2号、2001年、87-103頁。
「イギリス反ファシズム・スポーツ運動へのウォルター・シトリーンの関与について」日本体育学会体育史専門分科会『体育史研究』第19号、2002年、15-28頁。
「イギリス労働者スポーツ連盟の組織的二面性について−1930年代イギリススポーツ史の一断面−」『武蔵野美術大学研究紀要』No.37、2006年、5-17頁。
「苦悩するノエル=ベーカー−1936年ナチ・オリンピックへの抵抗−」一橋大学大学教育研究開発センター『人文・自然研究』第2号、2008年、176-238頁。
「剣道の技術と武士道精神との相克」『現代スポーツ評論』第21号、創文企画、2009年、70-78頁。
「『スポーツに参加する権利』のための闘い―1930年代ロンドンの組織的日曜フットボール運動―」一橋大学大学教育研究開発センター『人文・自然研究』第4号、2010年、74-121頁。
「第2次世界大戦前のイギリス労働者スポーツ協会の歴史」『武蔵野美術大学研究紀要』No.40、2010年、5-14頁。
「デイヴィッド・キャメロン連立政権下の国家スポーツ戦略の現段階―『2012年オリンピック政府計画』の検討を中心に―」現代スポーツ研究会年報『現代スポーツ研究』第12号、2011年、37-53頁。
「現代武道の創造に向けて―武道教育を如何に実践するか―」『体育科教育』第60巻第1号、大修館書店、2012年、40-43頁。
「第2次世界大戦下のBWSAと亡命SWSI―国際労働者スポーツ運動の戦後再建に向けて―」一橋大学大学教育研究開発センター『人文・自然研究』第6号、2012年、4-62頁。



「オリンピック大会を自然死させよ!
―戦前二つのオリンピックをめぐるイギリス協調外交―」

〔概要〕1936年のベルリン大会までイギリス外務省は非介入の立場をとっていたが、ベルリン開催に抗議する世界各国での運動や1940年大会の招致をめぐる英日対立に直面して、オリンピック運動に介入していく。本章では、イギリス外務省が1936年と1940年のオリンピック大会の招致・開催と関連して展開した主張や行動を明らかにする。章題にある「自然死させよ」の政策は、日中戦争開始後に外務省が展開したオリンピック外交の帰結となるものであった。

『近代ヨーロッパの探求8 スポーツ』
『近代ヨーロッパの探求8 スポーツ』
有賀郁敏・池田恵子・小石原美保・福田宏・松井良明・
功刀俊雄・真田久・石井昌幸・青沼裕之・山下高行著
ミネルヴァ書房 2002年 319-361頁(A5判)


「反ファシズム闘争期のイギリス労働者スポーツ運動
―共同・統一へ向けての試み―」

〔概要〕1930年代は、ファシズムの脅威が世界を覆う中で、一国あるいは国際的に反ファシズム文化運動が展開されていたが、スポーツの領域でも同様であった。そこで本論文は、イギリスにおける反ファシズム・スポーツ運動がどのように展開されたのかについて、各組織の共同・統一に関する戦術や実際の行動を解明することを課題としている。
本論文は、イギリス反ファシズム・スポーツ運動史研究の起点となるものである。

『体育・スポーツ史研究の展望―国際的成果と課題―』
成田十次郎先生退官記念論集刊行委員会編
『体育・スポーツ史研究の展望―国際的成果と課題―』
不昧堂出版 1996年 207-225頁(A5判)


「イギリス協調外交と東京オリンピック―『自然死』を待つ帝国―」

〔概要〕1940年に予定されていた東京オリンピックの招致・開催準備の時期に、英国外務省はそれまでの「非介入」の原則を投げ捨てて、二度にわたって英国のオリンピック運動に介入していく。最初は、英国オリンピック協会(BOA)がロンドン大会招致を構想し、この案にロンドン市が同意するという状況下において、二度目は、東京五輪開催への反対運動が大英帝国内で活発化するという状況下においてであった。本章では、英国内外の諸組織の論争、交渉、確執等や日英関係を視野に入れながら、1940年の東京オリンピック大会に向けて英国外務省が外交政策上どのような動きをみせたのか、また、国内のオリンピック関係諸団体はそれに対してどういう対応をとったのか、を明らかにする。

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『幻の東京オリンピックとその時代―戦時期のスポーツ・都市・身体―』
坂上康博・高岡裕之編著
青弓社 2009年 68-93頁(A5判)


「ウォルター・シトリーンの対外交渉―アントウェルペン労働者オリンピアードに向けて―」

〔概要〕アントウェルペン労働者オリンピアード開催に向けて、イギリス国内で準備に携わったイギリス労働者スポーツ協会(BWSA)は労働組合会議(TUC)庇護のもとにあった。ウォルター・シトリーンはTUCのリーダーとしてBWSAへの協力と援助に責任を持つ地位にあった。シトリーンは、1936年のベルリン・オリンピック反対運動への関与から労働者スポーツ運動と密接に関わりを持ち、次いでアントウェルペン労働者オリンピアードの参加準備に協力してゆく。本稿は、1937年夏にアントウェルペンで開催された第3回国際労働者オリンピアードへのイギリス代表団の派遣に向けて、ウォルター・シトリーンがどのような役割を果たしたのか、またその究明を通じて、アントウェルペン労働者オリンピアードとはどのような国際スポーツ祭典であったのか、をウォーリック大学モダン・レコード・センター所蔵の諸資料から明らかにする。

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『体育・スポーツの近現代―歴史からの問いかけ―』
阿部生雄監修
不昧堂出版 2011年 44-59頁(A5判)

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